悠久の歴史を持つ、
自然あふれる寺院です。
400年以上の歴史を、
次の世代へ。
石井山の麓に平らに整地された跡があり、三尺ほど地中から弥生時代後期のものと思われる土器の破片が見つかりました。これは妙喜寺草創期の草庵の跡とも考えられています。 このような歴史が根づく妙喜寺は、大自然が移り変わる多彩な景色を身近に感じながら、泰然とそびえる秀峰大山を真正面に望むことのできる禅寺です。豊かな自然環境の中、1,500坪の境内地を有しています。
戦国時代は栄禄の頃、毛利・尼子の激戦の地となり、多くの将士の命が失われました。その霊を慰めるため、石井要害の城主・片山小四郎の女が草庵を結び、菩提を弔ったとされています。天正19年(1591年)9月に寂を示し、当山の開基として歓窓妙喜大姉の位牌が祀られました。文禄年間、当山二世龍蟠虎伯大和尚が寛文年間に曹洞宗法地として開闘。上新印圓福寺九世華庵文榮大和尚を開山勧請し、本寺として法縁を得ています。
明治25年(1892年)、石井大火により、本尊釈迦如来像と過去帳以外は焼失してしまいました。昭和20年(1945年)、日本海軍が当山に駐留しているうちに終戦となり、近代化へと時代は移っていきます。そこから歴史は紡がれていき、現在で十五世を数えます。
戦国時代は栄禄の頃、毛利・尼子の激戦の地となり、多くの将士の命が失われました。その霊を慰めるため、石井要害の城主・片山小四郎の女が草庵を結び、菩提を弔ったとされています。天正19年(1591年)9月に寂を示し、当山の開基として歓窓妙喜大姉の位牌が祀られました。文禄年間、当山二世龍蟠虎伯大和尚が寛文年間に曹洞宗法地として開闘。上新印圓福寺九世華庵文榮大和尚を開山勧請し、本寺として法縁を得ています。
明治25年(1892年)、石井大火により、本尊釈迦如来像と過去帳以外は焼失してしまいました。昭和20年(1945年)、日本海軍が当山に駐留しているうちに終戦となり、近代化へと時代は移っていきます。そこから歴史は紡がれていき、現在で十五世を数えます。